10位: 1Q84 BOOK 2
評価
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コミットメントの方向性がわからない
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『アンダーグラウンド』『約束された場所で』においてオウム事件とのエンカウンターを果たした村上春樹が、3人称フィクションというスタイルをもって世に放った物語。
だがBOOK2の時点では原理主義に対抗する物語としての力を持ってはいないと感じた。
肉食系青豆の男狩りシーンや、草食系ロリコン天伍と巫女ふかえりのセックスシーンなど、色濃く盛り込まれたエンタテインメント性は、結局はこの小説の観念的な構造理解や謎解きに時間を費やしているあいだに意味が薄れていってしまう。殺人、カルト、DV、近親相姦、児童ポルノetc…ヘビーな設定をてんこもりにして、メタファー・メタフィクションのメタメタ得意技を炸裂させたあげく、とっちらかしのほったらかし。この小説が物語としての力を持つなら、この作品においてエンテインメント性として盛り込まれた現実世界の凄みと深みをどこまで届かせることができるかが勝負になると思うのだが…。そもそもそういった方法は村上春樹氏はあまり得意ではないのかもしれない。“語られないこと”がむしろ重要な意味を持つような春樹氏の文学性は、この小説にあっては“語られすぎている”感がある。それが一気読みさせられるほどの面白さになっているのは確かなのだけれど。
続編に期待はするが、“空白(≒欠落)を埋める”“失われたものを探す”というテーマに回帰し、ディストピアを生きるヨリシロを、プラトニックラブ・イデオロギーという着地点に軟着陸させて終わることだけは避けてほしいと思う。
1985年に刊行された『世界の終わり〜』で影を捨て壁の中で生きることを選んだ主人公が、影とともに沼を抜けて、システムが支配する世界に帰っていたかもしれない物語が1Q84ではないのか。
『世界の終わり〜』は私にとって力を持つ物語だったが、そこに登場する「やみくろ」は実態が描かれないことでその恐ろしさは際立っていた。やみくろの実態が“開け!パンドラ”状態でとっちらかされ、相対化され骨抜きにされた『1Q84』は、たとえばオウムの“純粋な”被害者が実在するという現実の前でどれだけ力があるのか。卵の側に立つというエルサレムでのスピーチをなぞるなら、社会に対する実効力を持つことが試されるのではないか。システムの側にありながら卵の側に立つということの意味を、続編を通して読み取っていけることを期待している。
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