6位: 電撃ラブプラス Vol.3 姉ヶ崎寧々 2010年 5/11号 [雑誌]
評価
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かなしさが続くと、もはやラブソングにならない
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宇多田ヒカルのファースト・シングルがFMラジオから頻繁に流れていた頃、渋谷にたむろしていた多勢のコギャルたちは異常なまでに過剰装飾した格好で20世紀最後の青春を嗚咽気味に謳歌していた。一方、女子たちの異常なまでのパワーに委縮し、完全に支配権を握られた男子高校生たちは、もはや同い年の異性とは向き合わず「スーパー男子高校生」なる名で、幾分年上の女性たちの気を惹こうと必死だった。
そんな御時世を察したのか、ドラマも「高校教師」という典型的な男性教論が女子生徒をリードする禁断愛から、「魔女の条件」という女性教師が男性生徒をリードする禁断愛へと変遷した。ドラマ自体は別段良作ではなかったが、宇多田ヒカルの唄う主題歌が1999年の日本にピタリと合致していた。不況の最中、最後の灯を前に恍惚状態へ入るかの如く沢山の巫女たちが「LOVEマシーン」を熱唱し、古典的な「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」と傍観者たちを喚起した。日本経済も含め、誰もが現状復帰出来ることを願っていたし、それを後押ししてくれる「誰か」が必要だった。
「蹴りたい背中」ではなく「撫でたい背中」が必要な年上女性たちが1999年には沢山いた。1998年にも2000年にもいなかったが、1999年には「撫でたい背中」はむしろ必要とされた。コギャルなる女子高生も元気ならばOLだって元気だった。
しかし2009年に実在する現実の女子高生は宇多田ヒカルをカラオケで唄わない。憐れみの存在として利用出来る道化の年齢は限られている。当時15歳だった宇多田ヒカルも何時かは千葉県にある「海辺の施設」で看取られる日が来る。老衰で死に際の彼女に一体誰が「悲しいラブソング」を唄えるだろうか? 「ディア・ハート」でも手遅れだ。
甘えられる時間は限られている。ラブプラス・ファンが31歳以下ならまだ大丈夫だ。甘えさせてくれる相手だって再出発出来るし、甘える自分にも戻るべき現実世界が残されている。
「どこから携帯しているの?」
たとえ彼女の応答が不機嫌でも、現実世界の不機嫌さには回復の見込みがある。
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